退院の日
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病院で過ごす最後の晩。また、例のおばあちゃんが、やってくれた。私はスヤスヤ寝ていたのに、また、おばあちゃんの大声に起こされた。
おばあちゃん 「あれ! 小さい女の子がいるよ!」
看護師さん 「いませんよ」
…小児科はないから、夜中に小さい女の子はいませんよ。何が見えたんだろう、おばあちゃん。怖くなって、しばらく寝付けなかった。
最後の朝食。パン2つと、野菜のクリーム煮と、厚焼き玉子と、低脂肪乳。
お醤油をお皿にあけた。厚焼き玉子に、醤油をしっかりつけて、食べた。
・・・んん??
・・・これは・・・厚焼き玉子ではなく・・・パイナップルではないか!!
パイナップルとは思えぬ切り方、皿に乗せ方。そして、このメニューの何に使うかわからぬ醤油。そして、目が悪い私。ここの栄養士さんのセンスがわからない。。。
朝食後、医師の診察で傷に問題がなければ、退院OK。
9時半、医師が来て、昨日少し開いてしまった傷を見てもらって、退院OKの許可が出た。傷はまだ治っていないので、退院後は自分で消毒して、絆創膏を貼れば大丈夫。
お昼ごはんは食べずに帰ることにして、入院費の計算をしてもらう。請求書ができるのは11~12時ごろらしい。その間に、看護師さんから、退院後の説明を受ける。1ヶ月後に外来で検診を受ける予約と、退院後の生活で控えたほうが良いことや、感染症などで異常があった時の緊急連絡先など。
まだパジャマ姿で、暇つぶしにウロウロしていた。体重計に乗ってみた。あら! 入院時の測定よりも、4キロも痩せているではないの♪鏡を覗いてみると、目が大きくなった気がする(やつれただけとも言う。暇やつれ)。手首周りが痩せた気がする。 …この3日間、お米をあまり食べなかったのと、夕食を少なめにしたのが良かったみたい。病院のお食事は野菜が多いから体に良いのだろうな。
喜んでいたら、ちょうど、キョウコちゃんに出会った。キョウコちゃんは、我が家がよく行くお店の看板娘さんで、私の入院前夜もみんなで夕食を食べに行き、そこで偶然にも同じ病院に入れ違いで入院することを知った。キョウコちゃんは今日入院、明後日手術。私の手術のことは、これまた偶然旦那さんとうちの父が町で出会い、すでに話していたらしい。…なんて狭い町なのでしょう。頑張ってねと言ってサヨナラした。
12時になって、お昼ご飯が始まっても、まだ請求書が出来たという知らせがない。配膳の看護師さんたちが、私の分がないと騒いでいたので、事情を説明に行った。もうそろそろだろうからと言うので、帰る格好に着替えた。
いくらなんでも遅いだろうと、ナースステーションに行ってみると、もうとっくに請求書はできあがっていた。担当の看護師さんが忘れていたらしく、平謝りされた。本来は、先に退院受付に行って清算を済ませ、また病棟に戻って支払い済み証明書を提出して退院らしいけど、もうそのまま出て受付して帰っていいと言われた。
看護師さんと一緒に、忘れ物がないかチェックし、病棟を出た。
元同僚のMちゃんが「出所の日は、”いい日旅立ち”を歌って見送ってくれるよ」と、刑務所ドラマの観過ぎ!というメールをくれたけど、そんなものはなかった。あるわけない。
同室の方々はカーテン締め切りでほとんど顔も見たことがないくらいだったし、看護師さんも毎日変ったので、挨拶をすることもなく、あっさりした退院だった。
1階に降りて退院受付で清算。
ちなみに…
私の場合は、10日間入院、1日3,000円の4人部屋に入って、合計で、23万円弱。
後日、2つの保険と、健康保険の高額医療費を請求する予定。
その他、入院中に使ったのは、テレビカード3枚(3,000円)、ペットボトルの水、お茶。お菓子。お水は病棟の水道からも飲めるし、給茶機で熱いほうじ茶をもらえたけど、ミネラルウォーターに慣れてしまっているので美味しくなくて飲めず、結局術後2日目からは毎日売店に行って買いに行った。
久々に外に出た。この10日ですっかり秋になっていた。
タクシーに乗って、家に帰った。家の中はとてもキレイに片付いていたけど、植物は見事に枯れていた(笑)。
午後は寝て過ごし、夜は、早く帰ってきてくれた夫と共に、退院祝いと言ってお寿司屋さんに行った。病院の美味しくない食事に苦しんだので、醤油と味噌の、美味しい和食が食べたくて。
私はお米をあまり食べたくないから海鮮丼。夫は、にぎり。蟹サラダと天麩羅も。食べたい気持ちはいっぱいなのに、さすがに量が食べられず、美味しいとこ取りさせてもらって、あとは夫が食べてくれた。お腹いっぱい。傷が裂けそう。
あぁ美味しかった!! 何が食べたいと聞かれて、雲丹とイクラが食べたかった。よくよく考えたら、入院前夜も、「好きなもの食べていいよ」と言われて、雲丹イクラ丼を食べたっけ。
よく、「死ぬ前に何が食べたい?」という話題がある。今までは、なんだろうな~?と思って浮かばなかったけど、どうやら、私の”最後の晩餐”は、雲丹イクラ丼のようです。
久々に帰ってきたら、自分の家の安心感を、すごく実感した。